みなさんこんにちは。臨床家のたまご、SAKANAです。
突然ですが、質問です。
あなたはなぜ心理士になろうと思ったのですか?
このシンプルな質問に、あなたならどう答えますか?
“なぜ”という質問が持つ力
- あなたはなぜ臨床心理士を目指そうと思ったのですか?
- あなたはなぜこの大学院に入ろうと思ったのですか?
- あなたはなぜこの養成講座を受けようと思ったのですか?
このシンプルかつ、正解のない、答えにくい質問は、多くは何か新しい組織に所属する時に問われることが多いと思います。院試、臨床心理士試験2次試験、就職活動など。いわゆる「志願動機」というやつですね。
ところが、この「なぜ」という質問、やっかいなんです。
どうやっかいかというと、シンプルすぎて普段あまり意識されない分、言葉に詰まるんですね。
この質問が心に刺さりやすいのは、「なぜ?」とストレートに訊かれているからだと推察します。
私が学生時代恩師に習ったことで、とても印象に残っている言葉があります。
つまり、「なぜ?」と訊かれると、訊かれた方は、使われ方によっては責められている気持ちになってしまう。
例えば、いじめられた経験のある人に「なぜあなたはいじめられたの?」と訊くことは、かえって相手を追い詰めてしまうことになりますよね。志願動機を尋ねられた際、自分に自信がないと「なんで」がとても責められているような気持ちにつながってしまうこともあるかもしれません。
そうした受け手の気持ちへ配慮するために、心理士は訓練の中で、この「なぜ」という質問を、「なぜ」という言葉を使わないでいかに表現できるか。言葉を使う力を鍛えられます。
人とお会いする時、心理士の心の中は「なんで?」で溢れていると思うんですよね。それは、純粋にお相手の方を理解しようと思った時、「なんで?」という疑問は、相手に関心を抱き続ける上でとても大切になるから。
特に、一人一人の感じ方、物の見方、捉え方を、あたかもその人が体験しているかのようにこちらが体験しようとする時、「わからないこと」を大切にする姿勢が求められます。
だから、どうしても「なんで?」という疑問が心に浮かぶ。
- なぜこの方は相談に来たんだろう?
- なぜ今その話をしているんだろう?
- なぜ私(心理士)に話してみようと思ったんだろう?
- なぜみなさんはこのブログを読んでくださっているんだろう?
でも、面接の中では、こうした疑問を、「なぜ」という言葉を使わずに表現することが求められます。
- それで、今日ご相談に来られたのはどういったいきさつで?
- 今そのお話をしようと思った気持ちについてお話いただけますか?
- それで、私(心理士)に話してみようと思った気持ちについて、よかったら教えていただけますか?
- このブログたどり着いたのは、どういったことがきっかけだったんですか?
心理士の面接を受けた経験や、お仕事で心理士と関わる機会がおありの方は、こうした言い回しに、心理士特有の独特な印象を持たれるかもしれません。とても抽象的で、ふわっとした言い回しをすることで、相手が傷つかないよう、配慮しているからです。
ところが。ところがですよ。
そんな心理士の先生でも、「なぜ?」と相手に、どストレートに表現される場面があります。それが冒頭でお話しした臨床心理士試験や、大学院入学試験の面接などです。面接官の先生方はプロの臨床家の先生方です。長年臨床心理士としてご活躍の先生方なので、試験を受けている相手が、今どんな気持ちで、どんな意志を持ってこの場に座っているのか。その姿勢、もっと言えば、臨床家としての本質を見極めようという明確な意図を持って、「なぜ?」と純粋な質問を投げかけられます。
こうした場では、変に嘘をついたり、本心を隠して上辺で物を言ったり、誤魔化そうとするとすぐバレます。より正確には、「変な空気が面接室に流れて変な形で伝わります」。
なぜ心理の仕事をしたいと思ったのか?
この質問に答えはありません。臨床家を目指す方ご自身の心の中に、その時々の答えがあると思います。
そして、この純粋すぎる質問は、臨床活動をする上で、常に自分に向けられる質問でもありうるのです。
「自分」というアイデンティティが揺らぎやすい仕事、それが心理士。
現状では、心理的な支援に繋がれる方の多くは、「自分」というものが大きく揺らいでいるがゆえに危機的な状況に陥ってしまっていたり、自分で自分をコントロールすることができなくなってしまった方々だと思われます。
心理支援とは、いわば「自分」というものを取り戻していくプロセスに一緒に寄り添うことが大切な役割の一つです。
そして、そうした方々の心と深く関わりを持とうとすればするほど、心理士としての「自分」が大きく揺らぐ時がくる。相談に来られた方に自分の体験を重ねてしまって苦しくなったり、経験が浅ければ浅いほど、ケースと心の距離をとることが難しい場面が出やすいかもしれません。あるいは、心理に求められる仕事内容について、「これって心理の仕事なんだろうか」と思いを巡らす時がくるかもしれません。その時に、「なぜ心理士を目指そうと思ったのか」という本質が問われると思うのです。
これは私の場合ですが、「なぜ?」という質問を投げかけられて苦しく感じる場合、自分の本質と向き合うこと、いわゆる直面化をされている時だと思っています。
改めて「なぜ?」と訊かれると、今まで漠然としかしていなかった思いを言葉にすることが求められる。あるいは、これまで考えないで済んでいたことを、考えることになる。「なぜ?」の質問の答えは、必ずしも望ましい気持ちだけではないからこそ、「うっ……」と言葉に詰まってしまう。
でも、こうした「なぜ?」に真摯に向き合うことが、心理士という仕事をするための第一歩だと思うのです。だからこそ、試験という場では徹底的に「なぜ」に答えることが求められる。
- なぜ心理を目指したの?
- なぜ学会に入ってないの?
- なぜ今の仕事を選んだの?
- なぜすでに別の資格を持っているのに臨床心理士を取りたいの?
- なぜそのオリエンテーションを選んだの?
そして、もっと大切なことは、“わからないことを大切にすること”だと思うのです。
“わからない”を大切にすること
今更何を言ってんだ?と思われた方もいらっしゃるかもしれません。
「なぜ?」が大事って言うたやないかい
そう感じるのもごもっともです。
ただ、強調したいのは、“なぜ?”という質問の答えを見出すことと、“なぜ?”という質問を大切にすることは、厳密に言えば違うのではないかということです。
もちろん、「なぜ心理士になりたいのか?」その質問に自分の言葉で答えられることに越したことはありません。でも、その言葉に答えられない状況があっても、それはそれでいいと思うのです。
大切なのは、「なぜ?」の答えを導き出すことの前に、「なぜ?」の質問に答えられない自分、わからない自分がいることに気づくこと。そして、わからないなりに、“わかろう”とし続けること。
わからないことは何も恥ずかしいことじゃない。わかったつもりになるより、よっぽどいいと私は思います。
わからないなりに、考えようとすること、向き合い続けること。
それが、「なぜ?」という質問に真摯に向き合う、ということではないでしょうか。
うまく表現できなくてもいいので、まずは言葉にしてみること
「なぜ?」という問いに初めからうまく答えられる人は、ごくわずかだと思います。
私はめちゃくちゃ苦手です。下手くそです。ほっとくとすぐ喋りすぎます。その傾向、文量に出てますよね?笑
おすすめなのは、まずは紙に書き出してみることだと思います。
言葉にして、表現を磨き上げる。その訓練をする。
- まず、紙に質問に対する答えを書き出す
- 何回も繰り返し同じ質問に答える
- 書き出した文章の中から共通点(キーワード)を探す
- 繰り返し出てくる表現を拾い上げる
- 拾い集めたキーワードや表現を文章にまとめ直す
そのために、同じ質問に対して、何度も答えを書き出すこと。その中で、繰り返し出てくる言葉を拾い集めること。
初めは文量を気にしない方がいいと思います。最初から完璧にやろうとすると、うまくできなくてやめてしまうと思うので。
それよりは、思いの丈を飾らず、ありのままに表現してみて、「人に寄り添う」、「力になりたい」、「人を大切にしたい」など繰り返される言葉がないか、共通点を探して、キーワードとして拾っていく作業を繰り返します。
もしくは、重複する文章がいくつか出てくるようなら、それは自分が言いたいことの一つと捉える。
キーワード、文章、繰り返し伝えたい自分の思い、を拾っていく。明確にしていく。
こうやって拾い集めた言葉たちをつなげて、文章にしていくのもひとつのやり方だと思います。
形のない気持ちに名前をつける。言葉にして書き出すことで目で見える形に置き換える。
見える化することで、頭の中を整理しやすくなる。
手帳を使うのが上手な方たちは、きっとこうしたアウトプットの作業を通して自分の気持ちを明確にしているのだと思います。そして、このような作業は一日にしてなるものではなく、繰り返し、やり続けることで身につくのだと思います。
私は端的に説明するのが苦手なので、日々研鑽の毎日です。
“なぜ?”という問いを大切にすること
これまでみてきたように、“なぜ?”という問いは、2つの方向性があると思います。
- 人と関わる上で、相手を理解するために生じる“なぜ?”
- 自分自身に向けられる、自分という本質を問うための“なぜ?”
1.相手を理解するために生じる“なぜ?”は、直接的に表現してしまうと相手を傷つけることがあるので、時と場合を考慮しながら、表現に十分配慮する必要があります。
一方、2.自分への問いとしての“なぜ?”は、明確に、ストレートに問い続ける姿勢が求められます。心理士という職業においては、突き詰めて考える姿勢がとても大切だからです。1に絡めて言うならば、相談にきた方に質問をしたくなった場合、「なぜその質問をしようとしているのか?その質問が相談に来られた方を理解する上で、どう役に立つのか?」を考えなければなりません。
そして、1と2に共通しているのは、すでに述べた通り、“わからない”を大切にすること、わからないなりに考えようという姿勢を持つことだと思われます。
そして、最後に。この記事を書いていて気づいたことを述べて終わりたいと思います。
なぜ筆者は、この「“なぜ”という問い」について掘り下げる記事を書いているのか?
ふと、こんな問いが浮かびました。それに対する私なりの問い(というか連想?)は、以下の通りです。
人の心に寄り添い、興味を持ち、理解する上で、“問い”は欠かせません。人、つまり他者を理解するためには、自分を理解することが求められます。臨床心理士を目指す上で、スーパービジョンや教育分析の必要性が強調されるゆえんですね。
そして、“なぜ?”を大切にする学問といえば、哲学があります。哲学と心理学に深い関わりがあることも知られています。“なぜ”心を支援する上で問いを大切にする必要があるのか?心理学の歴史を見ても明らかでしょう。
自分と向き合い、人を理解する上で欠かせない“なぜ”という問いを、これから臨床家として成長する上で、大切にしていきたいと思ったから。
です。言うまでもなく、この答えに正解はありません。そして、この問いへの答えは、今後臨床家として成長するにつれて変わり続けることでしょう。
私は、それでいいと思います。そして、これからも自分自身に問い続けたいと思います。
あなたの答えはなんですか?
SAKANA
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